ビッグデータが明らかにした、“落ちこぼれゼロ”のカリキュラム

2015/7/3
受験サプリに加入するメンバーは多岐にわたる。出版業界から加入した佐渡島庸平に次いで、意外な人物が加わる。それが5人目のイノベーター、松尾豊・東京大学准教授だ。松尾の加入によって、受験サプリに「テクノロジー」という強力な武器が加わる。
AKB48に興味を持った人は最初に誰のファンになり、その後どのメンバーに移っていく傾向があるか、ご存じだろうか。
この問いに真正面から答えを出した研究者がいる。東京大学准教授の松尾豊。日本における人工知能・ビッグデータ解析の第一人者だ。
今まで登場してきた関や藤原、佐渡島らとは異なり、松尾自身は受験サプリの講義に出演することはない。いわば裏方だ。だが、その研究は、文部科学省の定めた教育課程を一変させるほどの潜在力を秘めている。
「おそらく、この研究が完成すれば、勉強につまずくことが減り、努力がきちんと報われるようになる。さらに言えば、理系や文系、科目といった区別までも消滅するかもしれません」。研究開始から約3年、28万人にも及ぶユーザーの膨大な行動データを分析して導き出した答えだ。
それにしても「科目の区別までもが消滅する」とは大胆な言葉だ。一体どのような真意があるのか。少しずつ分解していこう。
ビッグデータ解析で勉強は「一直線」から「ネットワーク」型に
従来、学問は「一直線」だと思われていた。基礎的な知識を習得し演習を経て、次の単元へと移る。数学で言えば、プラスとマイナスという概念が登場し、因数分解を学び、次に1次関数から2次関数を学んでいく。そして三角関数、微分積分へと、より高度な領域へと進む。
だが、松尾はこうした「一直線」的な勉強に潜む問題点を指摘する。
「たとえば微分積分でつまずいたとしましょう。すると、『これは何か理解が不十分な箇所があるに違いない』と思って、直前の単元に戻ろうとしませんか? 実はこれが問題なのです」
今つまずいているポイントを克服するために、まずは直前の単元に戻る──。一見すると、理想的とも思える勉強法だが、その発想が数学で脱落者を生んできた最大の要因であるという。
「数学は勉強が進むにつれ、以前学んだ複数の概念を組み合わせて高度化させていく学問なのです。それがネットワーク的につながっています。でも、今の文科省が定めたカリキュラムは、単元が『直線的に』並べられています。時には、直前の単元に戻ることが無意味なこともあります」
確かに数学の教科書のページを前へ前へとめくっていくうちに、気づいたら何がわからないのかさえ、わからなくなっている。そんな経験があるだろう。
そこで、松尾が生み出したのが「一直線」に対して、「ネットワーク」化されたカリキュラムである。一直線上に配置されたバラバラの単元をすべて、分解し、ネットワーク化した。こうすることで、「“ある単元”の理解不十分は“別の単元”の苦手を誘発する可能性がある」という単元ごとの「依存関係」を導き出した。
数学の各単元の依存関係をマッピング。拡大図は以下。
松尾研究室の研究成果に基づいて、具体例を挙げよう。
たとえば微分積分でつまずいたとする。一直線の勉強であれば、多くの生徒は直前の「指数関数・対数関数」へ戻る。だが、本来、教科書をまたいで数Ⅰの「2次関数」に戻るのが正解なのだ。だが、通常、教科書をまたいでまで勉強し直すという生徒はまれだ。
各単元の内部にも依存関係がある。受験サプリ内の講義でどこでつまずいたら、どこの単元を復習すべきかがひと目でわかる。上図は微分積分領域の拡大図。
「たったひとつの苦手」が理系科目の“死滅”を招く
松尾の右腕として、データ解析の陣頭指揮を執ってきた那須野薫氏はこう指摘する。
「文系科目とは異なって、数学は特に依存関係が強い。わかりやすく言えば、数学のどこかでつまずくことは、脳梗塞で血管の一部が詰まり、脳の広範囲が死んでしまうのに似ているのです。しかも数学は、厄介なことに科目を超えて影響を与えてしまう」
先ほどの例で言えば、数Ⅰで2次関数がわからなければ、はるか先に習うはずの微分積分がわからなくなる可能性があるということなのだ。
各領域にもそれぞれ依存関係がある。「微分積分」は「図形と方程式」と密接な関係があるが、「三角関数」との関わりは低い。
そのうえ、理系の学問は科目を超えた依存関係がある。中でも想像しやすいのが物理だ。数学は物理現象を説明するために開発された言語である。数学ができなければ物理ができなくなるのは必然だろう。
それだけにとどまらない。生物や化学でも多かれ少なかれ、数学を用いる部分がある。一部でも苦手であれば点数が伸び悩み、科目自体が嫌いになってしまうこともありえる話だ。
少々大げさに言えば、数学のたったひとつの単元ができないだけで、理系科目全体を捨てるハメになってしまうこともありうるのだ。
だが、このネットワーク化されたカリキュラムを使えば、受験サプリ側から受講者に適切な講座のサジェスチョンを行うことが可能だ。そうすれば苦手な分野にぶつかったときにも、教科書を不毛にさかのぼっていく必要はなくなる。文科省の定めた「直線型」カリキュラムはもはや意味をなさない。
数%しか存在しない“メタ学習者”という存在
松尾がネットワーク型カリキュラムを発案したのは「ある特異な動き」をするユーザーの存在がきっかけだ。
「大半のユーザーはわからなくなったら直前に戻ります。ですが、数%の確率で“メタ認知学習者”がいるのです。彼らだけはピンポイントで適切な単元に戻ります。彼らの行動を分析することが大きな手がかりになります」
「メタ認知学習者」とは教育心理学用語で、「自分がどこまでわかっていて、どこまでがわかっていないかを把握している」学習者のことだ。彼らの学習効率を通常の受験生と比較すると、はるかに効率よく勉強を進めていることがわかった。彼らの行動をトレースしていくうちに「一直線のぶつ切りのカリキュラム」が有機的に結合し始めたという。
だが、この研究を開始するまでには紆余曲折があった。一見、相性が良さそうに見えるデータ解析と教育だが、反対論者が根強く存在するからだ。「教育とは10年後、20年後に初めて結果がわかるものである、データ解析で効果を測定するのはおかしい」。それが彼らの論拠だ。
こうした意見に対し、「極論すると、それが教育の進化を妨げてきた。結局、データ分析がないために事実が積み上がらず、数学の脱落者を大量に生み出してきた。雑な言い方ですが、理系とは数学に挫折しなかった人であり、文系とは数学に挫折してしまった人なのです。日本でこの区別が明確なのは、日本では教室の中での教師と生徒のインタラクションが少ないことと関係あると思っています」
だが、これさえあれば理系と文系という壁はなくなる。「将来はネットワークの“網の目”を細かくして、科目や大学受験という概念さえも越えるような学習手法がつくれればと思っています」。数学ができなくなるとビジネススキルにも悪影響がある、というのが松尾の持論だ。
人工知能導入で教育はどう変わる?
そして、ネットワーク型カリキュラムが完成した後はいよいよ人工知能の出番だ。
たとえば、ユーザーの勉強が動画授業の聴講に偏っていたら、復習を促すアラートが出る。そのうえで、今まで見てきた分野、それも苦手分野にフォーカスした復習テストをつくりこむ。
中には苦手な分野ばかりテストするのが嫌な生徒もいるだろう。そうした生徒に向けて、一度、得意分野を復習してそこから苦手分野を復習、という“生徒の性格やモチベーションに応じた個別復習テスト”を人工知能が生成することも可能になる。
もちろん、受験サプリは万能というわけではない。「効率的に知識を頭に入れたら、思考力や応用力を磨いていくことができる。むしろそこから“本当の勉強”がスタートするのだと思います」。今まで鬱陶しかった「知識の習得」は月額980円の「究極の家庭教師」に任せればいい時代が来るかもしれない。
松尾豊(まつお・ゆたか)
1975年香川県出身。1997年東京大学工学部卒業。その後、博士課程修了。産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、2007年より東京大学大学院工学系研究科准教授。2014年より、東京大学グローバル消費インテリジェンス寄附講座代表。国立シンガポール大学客員准教授も兼務。2012年から2014年まで、人工知能学会編集委員長・理事。現在、人工知能学会倫理委員会委員長。オーマ、READYFOR、マネーフォワード、経営共創基盤の顧問等を務める。経済産業省 消費インテリジェンスに関する懇談会、IT融合フォーラム等の委員を歴任。人工知能学会論文賞・現場イノベーション賞・功労賞、情報処理学会長尾真記念特別賞、ドコモモバイルサイエンス賞など受賞。専門は、Web工学、人工知能。
(撮影:福田俊介)