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わたしがアップルウオッチと決別した理由

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  • negocia, Inc. 代表取締役

    N=1の意見で記事を作れるなら、私はApple Watchと決別できない理由も書けます。少なくとも私個人はiPhoneをポケットから出す回数が1/5以下に減りました。
    そもそも、この方は何をしたくてApple Watchを買ったのか、ブランドと自己顕示欲で購入して、何をしたいのか目的がなかったのではないでしょうか?
    所詮はまだ、単に通知デバイスでしかないですからね。

    上記はApple Watchの擁護になってしまいましたが、今のApple Watchが通知デバイス以上でも以下でもないのは記事の通りだと思います。
    このままのクオリティだと記者のような方が大半になるのも事実。せいぜいアーリー層のデバイス好きの商品であることは確かで、ブランド好きで買った人は徐々に離脱していくでしょう。

    watchOS2でwatch単体の機能を持ったアプリが作れるようになりますが、それがどう変えるのか。私もまだ正直Apple Watchの劇的な変化、そして普及の材料になるのか、まだまだ懐疑的。
    そもそもAppleはモバイルイノベーターとしての役割は終えるのかもしれません。

    ーーーーーー
    ここからは編集部さんへ
    これ連載、と呼んでいいのでしょうか。第1回〜第3回、確かにウェアラブルというワードでは一見繋がっていますが、現時点で中身の脈絡や連続性に欠けているように感じています。ここから、伏線回収が「そうだったのか!」となるよう、連載として成り立つよう期待してます!

    (追記)
    Ichimuraさん>梅田さんの「コメント期待してます」に。。男気で動いてしまうタイプなのです、私。。がんばれるところまで、コメントしようと。。


  • 東京理科大学 IDM 教授

    多くのApple Watchレビュー記事のなかで、あえてこれをピックアップした背景は何なんだろうと、思いながら読んだ。柴山さんに同意で、これが全30回の連載の中で、どのように位置づけられことになるのか、今後に期待。

    情緒的であまりロジカルでない内容だが、一つだけ重要なポイントを指摘している。

    「携帯は手に持って使うもので、本などを人々が手に持って読むという光景は見慣れているから違和感がない。ところが、手首をまじまじと見つめて(あるいは会議中にチラ見して)何かを読んでいる姿は、変人か礼儀知らずのどちらかだ。」

    我々の日々の行為というのは、個人のなかでも、また対人関係のなかでも、さまざまな無意識の「ルーチン」によって構成され、また規定もされている。その「ルーチン」のなかでは、ひとつひとつの行為の意思決定にさほど意識をかけずとも、ほぼ無意識的に自然に行為は連続していく。

    これまで、腕時計を見るという行為は、片腕を軽く上げて、ほんの1-2秒視線を落として、時間を確認するというものだが、数十秒、さらには数分にも渡り腕を上げて、手首のあたりを凝視するという行為のかたちは、これまでの我々の生活の「ルーチン」のなかには存在しなかった。だからこそ、この行為を実際に人前でやると、人からの不思議な視線を投げかけられたりするし、自分自身でも気恥ずかしさを感じることもある。あれだけ僕らは昔のアニメや戦隊物の番組で、ヒーローキャラが腕時計型の通信機器を使っている姿に夢中になり憧れていたにもかかわらず。

    この点は、新しい技術の受容プロセスにおいて、これまで存在しなかった行為のパターンを埋め込み、それを日常の新しい「ルーチン」として定着させることがいかに難しいかということを示している。機能面ではその有用性を十分に理解していようとも、心理面でどこか落ち着かなさを感じてしまう。その点において、やはり Sony Walkman は本当に画期的な製品だったと思う。それまで、音楽は家のなかでソファに座ってゆっくりくつろぎながら聴くものだったのに、カセットを自分のポケットや手の中に入れて、それまでなかった移動中に音楽を聴くという行為をあまり違和感なく世の中に普及させた。まさに音楽の視聴「体験」そのものを革新させたわけである。ただ、一点この新規の行為の普及が進みやすかったのは、それまでにも小型ラジオにイヤフォンを付けて耳に入れて外でラジオ放送を聞いている人がいて、屋外でイヤフォンをしているという姿そのものはそれほど珍しいものではなかったことだ。だから、その姿が「こっ恥ずかしい」という感じる人もそれほど多くはなかったのだと想像できる。

    こうした点は、ウェアラブルの普及で最後に残されたハードルとしてながらく議論されているが、いま取られているアプローチは、ファッションやアクセサリーとの融合でできるだけオシャレに見えるような工夫をいろいろとするものだが、僕はそうした「俺、Apple Watch持ってるぜ!!」的な他者顕示的アプローチが逆に限界を孕んでいると思う。オシャレに見せようとしている姿が全然オシャレではないというような。

    以前に書いたので繰り返しになるが、ユビキタスコンピューティング概念の創始者であるマーク・ワイザーの言葉をもう一度載せておきたい。

    「本当に革新的な技術は、日常生活のなかに完全に溶け込み消えてしまう技術である」 "The most profound technologies are those that disappear. They weave themselves into the fabric of everyday life until they are indistinguishable from it."


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    東京大学大学院新領域創成科学研究科 准教授

    これを読んで思ったのは,「時計に何か新しい通知機能等がついたもの」というつもりでいるのか,「何か新しい通知機能等がついたデバイスに,時計機能もついている」というつもりでいるのかで,期待が違うということですよね.
    この記者は前者のつもりで購入したけれど,実際には後者だったと.で,その「新しい通知機能」にそこまでの魅力を感じられなかったと,ということなんだと思います.そういう意味では,アップルウオッチというネーミングはミスリーディングだったのかもしれないなぁと,そんなことを思いました.

    柿原さんのコメントが非常に示唆に富んでいて,勉強になりました.普及させるためには,おかしな動作をさせる必要のないものにするか,あるいはおかしな動作をするだけの価値のあるものにしないと,なかなか世の中には浸透しないということですね.Google Glassなんかの成否も,そのあたりにかかっているのかもしれません.(僕は捲土重来を期待しています)


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