2024/8/14

新しいeスポーツの生みの親は「ゲームが苦手」な理学療法士

ブックライター
新型コロナウイルスの感染拡大で翻弄された、医療・介護業界。病院や施設にいた高齢者や障がいのある人たちは、面会制限によって外部とのコミュニケーションが大幅に制限。レクリエーションが中止となり、遊びや他者との交流の機会も奪われました。

そんななか、理学療法士の池田竜太さんは業界に楽しさを取り戻したいとリハビリ施設を退職し、年齢や性別、障がいの有無に関係なく楽しめる「UDe-スポーツ」を考案します。新しいeスポーツはどのようにして誕生したのでしょうか。(1回目/全3回)
INDEX
  • バイトに熱中。卒業後はリハビリの専門学校へ
  • コロナ禍をきっかけにリハビリ施設を退職
  • 美里町の高齢者に「ぷよぷよ」を教え始める
  • eスポーツは誰でも楽しめるわけではない

バイトに熱中。卒業後はリハビリの専門学校へ

理学療法士の池田さんは高校時代、授業が終わると、飲食店や酒屋でのバイトに明け暮れる生活を送りました。
池田「おもしろくて夢中になって働きました。飲食店や酒屋のお客さんである高齢の方々とおしゃべりして仲良くなって。でも、それだけバイトをしていると、疲れて学校には行けなくなります。真面目に学校に通えないことも多くありました」
高校卒業後は就職を考えていましたが、就職氷河期で高卒の採用数が少なかったため、理学療法や作業療法などを学ぶリハビリテーションの専門学校に進学しました。
池田「仲のいい先輩が進学していて興味を持ったんです。中学まではサッカー部に入っていてスポーツが好きでしたし、リハビリにも関心がありました。年配の人とコミュニケーションを取るのも楽しかったので、理学療法士に向いているんじゃないかと思ったんです」

コロナ禍をきっかけにリハビリ施設を退職

専門学校を卒業後は精神科病院を皮切りに、介護施設、病院、介護施設が運営する脳卒中患者のためのリハビリ施設で約15年間働きました。
ところが2020年春、世界をコロナ禍が襲います。医療・介護の現場でスタッフは疲弊。面会制限が始まり、高齢者のレクリエーションや施設外へのお出かけ、イベントはすべて中止になってしまいました。
池田「当時の現場は本当に暗かったですね。そのとき、ふと『辞めよう』と思いました。その代わり、15年間医療・介護の現場で働いてきたことを活かして業界への恩返しになるような楽しいことを始められないかと考えました」
2020年4月に退職した池田さん。ただ、具体的なビジネスプランはなかったため、「しばらくはニートのような状態だった」と当時を振り返ります。そんなとき、池田さんは偶然「eスポーツ」という言葉を目にしました。
池田「eスポーツという言葉自体も知りませんでした。調べてみて、コンピューターゲームを使って複数人で対戦する競技のことなんだと知りましたね」
しかし、池田さんはゲームが得意なわけではありませんでした。
池田「どちらかというと苦手です。子どものころから外で遊ぶほうが好きだったので、唯一プレーしたことがあるのが『バイオハザード』のイージーモード(笑)。ですが、eスポーツは高齢者の認知症予防や孤独の解消、世代間交流にいいんじゃないかという直感がありました」
その後もeスポーツについて調べ続け、熊本eスポーツ協会の存在を知った池田さん。協会に「自分は理学療法士で、eスポーツは高齢者にいい影響があるんじゃないかと思っています。情報交換できませんか」と投げかけたところ、思わぬ展開がありました。
池田「美里町が高齢者の介護予防を目的にeスポーツを活用したいと言っている、と教えてもらったんです。
当時はゲームもeスポーツのこともわかっていませんでしたが、『長年、介護の現場にいたので高齢者のことは得意です』とお話しして、美里町に熊本eスポーツ協会さんと一緒にプレゼンをさせてもらうことになりました」

美里町の高齢者に「ぷよぷよ」を教え始める

熊本県美里町は、熊本県の中央部にある人口約9000人の自然豊かな町です。全国の地方自治体と同じく、人口減少と高齢化が進んでおり、町は高齢者の認知症予防や介護予防に力を入れたいと考えていました。
美里町eスポーツ事業に伴う連携協定を締結。後列右から2人目が池田さん(写真提供:ハッピーブレイン)
池田さんたちのプレゼンは成功し、2020年10月から美里町の「eスポーツでいい里づくり事業」をサポートすることに。その際、法人でなければ契約できないということで、池田さんは急遽、合同会社を設立します。池田さんが代表を務める会社、「ハッピーブレイン」の誕生です。
池田「“ハッピーブレイン”は、僕が独立前に勤めていたリハビリ施設の仲間といっしょに立ち上げたサークルの名前です。
『幸せ脳』という意味のとおり、脳卒中で入院した患者さんたちの退院後の生活を少しでも良くしたいとの思いで異業種交流会や勉強会をしていて、その名前を社名に使うことにしました」
こうして、美里町の高齢者に「ぷよぷよ」を教え始めた池田さん。
最初、美里町の人たちは「コンピューターゲームなんて私たちには無理」と言っていましたが、池田さんの指導のもと練習を続けた結果、次第にゲームの内容を理解してプレーできるようになりました。
池田「『脳トレになっていいね』『生きがいになる』と楽しんでくれる方がどんどん増えてきたんです。挨拶だけだった近所の人と立ち止まっての会話が生まれたり、孫とゲームの話題で盛り上がったりという変化もありました。
最初は乗り気でなかったのに、eスポーツでこんなに人は変わるのか、と驚きましたね」
そのうち、美里町の高齢者が「ぷよぷよ」に熱中していることが話題となり、メディアに取り上げられるように。
池田さんはスポーツ庁の「スポーツ推進プロジェクト」の一環で、熊本県内の合志市や山鹿市、南関町の施設でも高齢者がeスポーツを楽しむためのサポートをするようになります。
池田さんはこのころ、熊本県合志市在住の「寝たきり芸人」あそどっぐさんに声をかけました。
あそどっぐさんは筋力が徐々に低下する脊髄性筋萎縮症(SMA)で寝たきりの生活を送っています。芸人やYouTuberとして発信を続けているのでeスポーツにも興味があるのでは、と思ったといいます。
池田「あそどっぐさんは今、右手の親指と顔の表情以外動かせないのですが、中学生のころまでは車椅子に座れていて、そのときまではゲームをよくしていたのだそうです。
でも、高校生から寝たきりになり、指がほとんど動かなくなったのでゲームをするのをあきらめていたと話してくれました。
『今でもゲームをやれるものならやりたい』ということだったので、福祉用具をカスタマイズして親指でスイッチを押せるようにして、eスポーツを楽しめるようにしました」
カスタマイズしたスイッチでeスポーツができるようになった、寝たきり芸人あそどっぐさん(写真提供:ハッピーブレイン)
これを機に、高齢者だけでなく、重度の障がいのある方へのeスポーツのサポートも始めた池田さん。
その後、プロゲーマーを目指し、「寝たきりYouTuberしんチャンネル」で情報発信をしている熊本市在住の小学生「しんちゃん」こと、西岡伸一郎さんとの出会いもあり、池田さんは重度障がい者のeスポーツへの参加も積極的に後押ししていくようになります。
「しんちゃん」こと西岡伸一郎さんもeスポーツを楽しんでいる(写真提供:ハッピーブレイン)

eスポーツは誰でも楽しめるわけではない

ハッピーブレインとしてeスポーツのサポートを続けて、1年が経ちました。池田さんはeスポーツを高齢者施設や障がい者施設、病院のレクリエーションとして取り入れてはどうか、と考え始めます。
池田「施設のレクリエーションというと、折り紙、塗り絵、風船バレー、クイズ、体操といったアナログなものが一般的。これは僕が理学療法士になった20年前から変わっていません。
今はスマホを持つ高齢者もいて動画コンテンツも普及しているのに、施設のエンタメは20年前のまま。eスポーツでこの状況を解決したいと思いました」
(写真提供:ハッピーブレイン)
しかし、eスポーツの可能性の大きさとともに、乗り越えなければならない問題もある、とわかってきました。まずはゲーム機やソフトの問題です。
池田「そもそも、『ぷよぷよ』のような市販のゲーム機は家庭用なので、施設に常設することはできないんです。メーカーはゲームソフトの商業目的利用も許可していません」
実際、ハッピーブレインが自治体の高齢者のeスポーツをサポートする際には、ゲーム機を持っていき、終わったら会社に持ち帰るようにしていました。
問題はほかにもありました。eスポーツはオンラインでつながった遠くの対戦相手とプレーできるのが魅力の1つです。しかし、ビジネスとしてオンライン対戦をする場合には不便な点がありました。
池田「何月何日の何時から何時までこのゲームでオンライン対戦します、とメーカーに事前申請して許諾をもらう必要があります。
今後、eスポーツのできる施設を増やしたとしても、対戦する施設同士で日時を合わせなければなりません。突発的なことが日常茶飯事で起こる施設のオペレーション上、市販のゲーム機を使ったオンライン対戦は現実的ではないと思いました」
ゲームそのものの難しさも問題でした。市販のゲームを使う既存のeスポーツは、ゲームがよほど得意な人でなければ、障がいがない人であっても難しいもの。高齢者や障がいのある方にとっては参加のハードルがさらに高くなります。
池田「練習して上達する高齢者や障がい者もいますが、複雑なゲームのルールを理解できない、小さなボタンやスイッチのあるコントローラーをうまく扱えない、という人もいます。
そういう人は、自分にはゲームは無理だとあきらめてしまう。誰もが楽しめる新しいeスポーツを目指すなら自分たちでつくるしかない、と考えるようになっていきました」
次回は、池田さんが考案した新しいeスポーツ「UDe-スポーツ」の開発プロセス、ゲームのラインナップとユニークな操作方法、リリースからわずか2年で全国120カ所の施設が導入を決めた背景について聞いていきます。