Z世代の「自動返信メール」がすごいことになりつつある | 「私以外の誰かに連絡してください」
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注目のコメント
現役大学生です。
文末に。を付ける、いわゆる「マルハラ」がコメントでも話題になっているようなので、感覚の違いについて私見を書きます。長くなりますがよければご覧ください。
まず、LINEを代表としたチャットについて。
私たちの世代にとってのチャットは、文章ではなく会話に近いもの、しかし会話とはまた違った絶妙な感情の表現ができるもの、
という感覚だと考えています。
上の世代の方にはやはりコミュニケーションは言葉(声)で、という感覚をお持ちの方が多いと思いますが、
私はむしろ、特に友達同士ならばLINEの方が話しやすい内容もあったりします。チャットは話し言葉でも書き言葉でもない、第3の体系のような感覚です。
文章として捉えている方々は1つの文章が比較的長めであるのに対し、私たちは1文ごとに切って送信をします(同じ内容でも吹き出しがたくさんになる、ということです)
このことからもそもそも持っている感覚が少し違うことを感じてもらえればと思います。
マルハラに話を戻します。
。がつくと怖い、という感覚の違いは、
大人になってからメールを扱うようになった世代の方が感じているメールへの「書き言葉感覚」と
私たち世代が感じている「チャット言葉感覚」の差が生んでいると思います。
チャットで。を付けると、わざわざ文章の最後をブツ切りしているような感覚を覚えます。
チャットでは、穏やかに話しているという感情を表現するために、語尾をふわっと終わらせたい、という感覚が私にはあります。
(笑)や🥺、😭、( ; ; )といったようなシンプルながらに感情を表現できる絵文字は、ふんわりとチャットを丸め込むために使っています。
「おはよう。」よりも「おはよ」「おはよー」「おはよー!」のように語尾を濁すことでチャットの雰囲気を丸めています。
結論として、
このような感覚のチャットを気づいた時には使っていた世代がメールを使うようになり、メールは書き言葉であるよりもむしろチャット言葉であるように感じるのでは、と考察します。
以上、駄文となってしまいましたが、少しでもチャットの感覚を共有できれば幸いです。
また、主語が大きいところもありますがあくまで私見なので、ご了承ください。仕事が最優先
「仕事だから仕方ない」と言って、他のことを犠牲にしても大丈夫と考えていた世代とは違いますよね。受け身で働かされるより肩の力を抜いて働くのもいい。Z世代は、句読点を用いた文章に「怒っている」とか「冷たい」印象を受けてしまうと知ってから、形式的でかしこまった長文を嫌う傾向にあるのは理解していました。
『Z世代は皆、メールの最後にスマイルマークをつけるべきだと考えています。』とありますが、どんどんスマイルマークをつけてしまっていいと思います!若い感性や価値観を、これまでのルールや常識で抑圧することなく、ポジティブに生かしてあげたいですね。