東南アジア実況中継_150629

反中論を抑えこみ訪中実現、そして初のトップ訪米へ

ベトナム:全方位外交と反中世論の狭間で

2015/6/29
南シナ海が再び緊張感を増している。中国による南沙諸島海域での埋め立てを巡っては、領有権を主張する国同士はもちろんのこと、国際社会でも中国の現状変更行為に非難が起こっている。最も強く反発しているベトナムはその一方で、急激なアメリカ接近を進めていることも注目される。そんなベトナムは国内でこの問題をどう伝え、どんな反応があるのか。そして、1年前の反中デモで一部暴徒化した状況と比べて、今どんな変化が起きているのか。

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1年前とは打って変わった街の静けさ

思えば約1年前、ベトナムでは反中世論で大荒れだった。ハノイ、ホーチミンなど大都市では反中デモが起き、工業団地が立ち並ぶビンズオン省では一部デモ参加者が企業施設の破壊行為にまで及んだ。中国人労働者が多く流入する地域では、地域住民と中国人との間で小規模な衝突も起き、一時的にベトナムを離れる中国人ビジネスマン(時に一緒にされてしまった台湾人も)も出た。

ところが、今年の埋め立ては昨年の石油掘削に勝るとも劣らない、ベトナムにとっては「主権侵害」行為だが、昨年のような騒動は見られない。街にはデモの姿もない。ただ、その代わりの代理戦争ともいうべき論争が、国会で始まっていた。

盛り上がった国会での対中論争だが…

一年前、社会がデモで荒れていた時期も国会が開かれていた。その時にはギリギリまで領土問題が議論されたが結局決議は出ず、それにいきり立つ国会議員もいた。

今期国会でも、ある議員がベトナム国会としての明確な態度表明をすべきと、国会議長に親書を出して訴えた。

著名な歴史学者でもある彼の名はDương Trung Quốc、奇しくもその名前に漢字を当てると「中国」になる。彼が生まれた1947年はベトナムの独立直後で、中国からも支援を受けていた中越蜜月時代で、当時のベトナムでの中国に対する印象が良かったことがうかがえる。

しかし、今では「物言う国会議員」として有名になった彼が、中国との領土問題に関して先頭に立って弁舌をふるう。皮肉なものである。

5月25日に始まった国会会期の前半は、多くの議員が中国との領土問題について発言し、昨年の再現かと思うような論争が見られた。メディアも連日、国会議員の発言を報じ、中国の動きを非難した。議員の要請に沿う形で国会が政府に対して議会への南シナ海に関する報告を要求。政府はこれに応えて、6月5日に非公開の報告を行った。

途切れた国会からの情報、そしてトップの訪中発表

しかし、その政府報告を境に会期前半を席巻していた反中の声が、すーっと小さくなった。メディアも引き続き南シナ海情勢は追うものの、主に中国や、アメリカ、南シナ海周辺各国の動向を伝えるばかりで、自国の政治家、議員の声は激減した。非公開の報告会で何が伝えられたのかはわからないが、国会議員の発言の仕方にも注文が入ったのではないかと推測される。

6月25日まで続いた今期国会では、事前に大臣の質疑応答、特に首相、もしくは副首相との質疑応答が予定されていた。会期前は国会事務局局長も、「首相への8つの質問には南シナ海の領土問題も含む」と明らかにしており、これまで中国に対する強い態度で世論の支持を回復してきたグェン・タン・ズン(Nguyễn Tấn Dũng)首相が再度強硬姿勢を示すのかと注目が集まっていた。

しかし、結局ズン首相は国会質問の場に立たず、政府最高幹部としてはグェン・スアンフック(Nguyễn Xuân Phúc)副首相が国会質問を受けた。だが、南シナ海問題は取り上げられず、国会後半に向けて一気にこの問題はトーンダウンした。以前の記事「中越対立のその後とベトナム政治の季節到来」で、「反中」でズン首相はポイントを稼いだと書いたが、来年の共産党大会に向けて、これ以上もうポイントは要らない、むしろ減点などという変なことにならないようにという、慎重姿勢だったのだろうか。

訪中と訪米、両大国を手玉に取る?

国会での南シナ海議論の静けさに続き、6月16日には中国外務省が「既定の作業計画に基づき、近く完了」と発表した。

それは、まるで昨年7月に突然「掘削調査完了」を発表して引き上げた時を思わせるものだったが、さらに続いてベトナム国内から6月17日から19日の日程でファム・ビン・ミン(Phạm Bình Minh)副首相兼外相が訪中するというニュースが飛び出した。

その訪中直前に、また南シナ海でのベトナム船籍の漁船に対する中国船の攻撃、略奪が起きた。どんなムードになるのやらとはらはらしたが、18日には李克強・中国総理との会談も無事行われ、全体的には対立の収束を印象づけた。

そして、ミン副首相の中国訪問終了後、年初よりウワサのあったグエン・フー・チョン(Nguyễn Phú Trọng)・ベトナム共産党書記長の訪米日程が具体的に報道され始めた。

7月7〜9日の訪米は、実現すればベトナム共産党最高指導者である書記長による初の訪米となる。タイミングが上記ミン副首相の訪中終了後すぐだったことから、訪中はチョン書記長訪米前の中国への「仁義きり」が目的の一つだったのではないかと筆者は推測する。

盛り上がる「反中世論」、止まらない「全方位外交」

ここまでなら、中国とアメリカと見事な距離感を保ち、ベトナムが得意とするしたたかで全方位外交である、めでたしめでたし、ともいえる。

しかし、ことはそうは単純ではない。ネット世論での対中不信はすでに政府がコントロールできるレベルではなく、いくら非公開報告で国会を鎮めようと、メディアの論調をなだめようと、庶民の激しい言動はネット上で拡散し続けるからだ。

ネットでは「ホーチミンだって中国には腰抜けだった」とする文章に人気が集まり、偉大な指導者とされる彼を揶揄する画像が出現するなど、反中の機運は増すばかりだ。この原稿を書いている時点では国内でデモ等は起きていないが、6月21日に在ドイツのベトナム人が抗議行動に出たとのニュースはメディアを通じて伝わり、賞賛の声とともにネット上を駆け巡っている。

政治外交のレベルもさることながら、前回「南シナ海問題の行方を操る、ベトナム経済事情」で触れたように、より生活レベルに近い経済社会面で浸透感が中国の浸透力はすさまじい。それゆえに中国に対する警戒感が、政治意識の高い層から一般市民層まで広く行き渡っている。

主権確保のために固い決意は示しつつ、アメリカも含めた多くの国を巻き込みながら中国をけん制し、しかし決して武力による決定的な対立には持ち込まない、というのが今のベトナム外交の狙いだ。これに加えて、国民世論とのバランスもきちんと取らなければならない。

2016年初に行われるベトナム共産党大会を前にして、政治的には非常に機微な今年。1944年生まれで引退濃厚、近年は世論に「対中宥和派」と評されるチョン書記長は、4月に中国を、そして7月にアメリカを訪問して、全方位バランス外交を締めくくり、政治キャリアの幕を閉じるだろう。

後継者にはズン現首相始め対中強硬派の名前がうわさされるが、この国の微妙な立ち位置をきちんと取り続けられる指導者が現れるのか。2016年からの新指導部に引き継がれる難題である。

*「東南アジア 実況中継」は今回をもちまして連載を終了いたします。ご愛読ありがとうございました。