受験サプリの生みの親・山口文洋。自称「暑苦しい男」の生き方

2015/6/29
月額「980円」という価格で教育業界に殴り込みをかけ、あっと言う間に巨大サービスに成長した受験サプリ。このサービスのひな形は一人の男の閃きから生まれた。
「小学生の頃から、勉強はあんまり好きじゃないんだよ(笑)」
無精髭に屈託のない言葉が印象的なこの男こそ、受験サプリの生みの親・山口文洋である。
33歳の時に受験サプリのひな形を考案し、わずか3年半で受験生の半分が利用するサービスにまで拡大させ、教育業界に破壊的イノベーションを起こした。そして、現在、37歳。入社から9年でリクルートマーケティングパートナーズの社長に就任、最年少でリクルートホールディングスの役員に名を連ねる。
さぞかし教育に興味があったのかと思いきや、冒頭の言葉通り、まったくそんなことはない。母方が教育一家だったという以外、教育業界とはまったく無縁な道を歩んできた。
「親はすごく真面目な人で、週に7日はおけいこに通わされたり……。反抗期もひどかった。親や先生には猛烈に反抗していた」
高校生まで続いた反抗期は、その後の山口のキャリアに色濃く影響を及ぼす。慶應義塾大学商学部に入学するもほとんど通わずじまい。なんとか卒業はできたものの、就職活動はせず「青春謳歌の延長戦」と称して定職には就かず、3年間パチンコや高額バイトでしのいでいた。
「資格を取ろうとして失敗したりしていた。なんとか暮らしていけたから不安はまったくなかった」と構えていたが、とうとう25歳のとき、親から勘当を食らってしまう。
「社長のカバン持ち」で学んだビジネスの基礎
そうして「半ば仕方なく」入社したITベンチャー企業でようやく社会人としてのキャリアをスタートさせる。
「社長のカバン持ちみたいなことをするうちに、何から何までやらされた。『HTMLを自分で勉強して会社のホームページをつくってみろ』なんていうのはマシなほう。『デアゴスティーニのロボット特集を注文しといたから毎週届くロボットの部品を組み立ててプレゼンしろ!』なんていうのもあった」
だが、今までの「お勉強」とは異なる「生きた学び」は山口にとって新鮮だった。3年間で、コードの書き方から経理、マーケティング、プレゼン資料のつくり方までビジネスの「いろは」を叩き込まれた。
「おまけに社長の横にいたものだから経営者の葛藤や、多くの人をまとめあげる難しさまで垣間見ることもできた」
その後、後輩のツテをたどり、28歳でリクルートに転職する。とは言え、リクルートが何をしている会社かも知らなかった。入社後に配属されたのが「進学事業」なる部署。ここにきてようやく教育と関わりを持つ。
だが、リクルートといえば人材派遣事業やゼクシィ、SUUMOなどが“花形”だ。高校生の進路決定のための情報サイトや情報誌をつくる進学事業は伸び悩んでいた。
「正直肩身は狭かった。リクルートって何でも右肩上がり、みたいなイメージがあるし。でも何とかして変革を起こしたい、と」。逆転の機会をうかがう山口。狙うは「NewRing」、全社的に行われる新規事業コンペだ。優勝すれば事業立ち上げ資金が援助される。
だが、そう甘くはない。入社から毎年、挑戦するものの、あえなく敗退に終わる。1回目は『R25』の中高生版「R17」、2回目はスポーツ以外の部活のための甲子園をネット上で開催する「ソーシャル甲子園」、こちらは最終審査で敗退してしまった。5年目まで多彩なアイデアで挑むが、どれも優勝までは至らなかった。
「どれも面白いでしょ? でも面白いだけのビジネスってのはどこかまだ足りない。大化けはしないんだよ」と敗因を分析する。そして6年目、ついに受験サプリのひな形を思いつく。