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第2回:日本から世界的なテニス選手はどうすれば生まれるのか

錦織圭を育てたのは、アメリカか日本か

2015/6/27

テニスはグローバルなスポーツ

──「錦織選手はアメリカが育てた選手で、日本が育てたわけではない。このままでは錦織ブームで終わる」という意見があります。一方、ドイツに目を向けると、ボリス・ベッカーが活躍した後も、継続的にトッププレーヤーを生み出しています。日本は錦織ブームで終わらせず、トップレベルの選手を育成することができるのでしょうか。

佐藤:僕は「錦織圭君は、日本とアメリカの合作」だと思っています。テニスはグローバルな競技ですから、たとえ日本に本拠地を置いたとしても世界中を転戦しなければなりませんし、国際的な感覚を養うための選択として、IMGへの留学は正しかったと思います。

一般的には、錦織君は単身でアメリカに渡ったという報道がされておりますが、盛田ファンドの援助を受け、日本人スタッフと同僚2人も一緒に行き、手厚いサポートも受けながら丁寧に育てられたというのが実情です。画期的なことでした。

中村君もそのスタッフの1人。重要なのは、いいタイミングでいい人に出会い、それからいい条件が整うこと。だから、サポートをした日本人の存在を忘れてはいけません。

──日本とアメリカ、2つの環境が錦織選手を生み出したというわけですね。

佐藤:錦織君は日本の島根県松江市で生まれ育ち、お父さまにテニスの手ほどきを受け、グリーンテニスクラブの柏井正樹コーチからテニスの基本を学びました。素晴らしい人々との出会いと絶妙なリレーで最適な場所に送り込んだことが成功のカギだったと思います。もし、いきなりアメリカに単身で行っていたら、つぶれてしまったかもしれない。

──ただ、アメリカの環境が重要な役割を担ったことは間違いないと思いますし、経済的にも、誰もが日本からアメリカに行けるわけではないと思います。今後、日本にいながらにして優れた育成を受けられる環境はできるのでしょうか。

佐藤:確かにそうですね。日本にそういった環境をつくることができれば、優秀な選手が育ってくると思います。そのためには、施設や活動するための経済的な支援などが不可欠ですので、スポーツ政策など政治的、経済的な取り組みが課題となるのではないでしょうか。

中村:まったくその通りです。テニスプレーヤーの育成はグローバルな展開になっています。その例として、ドイツのトミー・ハースは、11歳のときにアメリカの「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー(現IMGアカデミー)」に留学しています。

──ハース選手に加えて、中村さんがサポートしているロシアのマリア・シャラポワ選手は、グローバル育成の代表格ですね。彼女もアメリカに行ったから飛躍できたと思いますか。

中村:マリアは完璧にそうです。テニスはグローバルなスポーツ。経済的に恵まれた国の施設に優秀なコーチが集まるので、それを活用するのは自然の流れです。とは言っても、マリアはロシア人、トミーはドイツ人、圭なら日本人というプライドをみんな持っています。

──錦織選手は国別対抗戦のデビスカップを大事にしているし、インタビューを聞くと日本への愛情がいつも伝わってきます。シャラポワ選手も、ロシアを代表してプレーしているというイメージがあります。

中村:その通りです。だから、日本だけでなく、ドイツもロシアも「自国で100%選手を育成するシステムをつくらないといけない」というジレンマを抱えています。

──世界的な課題でもあるわけですね。

中村:ただ、課題と言ってもそんなに深刻なものではありません。テニスはグローバルなスポーツなので、どこで育ったかはあまり意味を持ちません。

佐藤:「Made in Japan」の選手を誇りに思う気持ちもわかります。日本を本拠地にしてプロになった選手もいて、たとえばロンドン五輪日本代表の添田豪選手や伊藤竜馬選手はグランドスラムの舞台で頑張っている。

佐藤雅幸(さとう・まさゆき) 1956年、山形県生まれ。78年仙台大学体育学部卒業、82年日本体育大学大学院体育学科研究科修士課程修了。専修大学教授(スポーツ心理学)、同大学スポーツ研究所所長。同大学女子テニス部の監督を務め、92年は王座優勝を果たした。現在は同女子テニス部統括。修造チャレンジメンタルサポート責任者。1994には、長期在外研究員としてカロリンスカ研究所(スウェーデン)に留学した。

佐藤雅幸(さとう・まさゆき)
1956年、山形県生まれ。1978年仙台大学体育学部卒業、1982年日本体育大学大学院体育学科研究科修士課程修了。専修大学教授(スポーツ心理学)、同大学スポーツ研究所所長。同大学女子テニス部の監督を務め、1992年は王座優勝を果たした。現在は同女子テニス部統括。修造チャレンジメンタルサポート責任者。1994年には、長期在外研究員としてカロリンスカ研究所(スウェーデン)に留学した(写真提供:佐藤雅幸)

アメリカとスペインの衰退

中村:ところで、5年前に僕がオーストラリア・テニス協会のトレーナーとして同国へ行ったときは、「『クレーコーター』のメンタリティや技術を学ばないとダメだ」という話が出ていました。当時はナダルに代表されるクレーコーターのスペイン人がランキングを席巻し、やがてハードコートでもオールラウンドに活躍するだろうという脅威があったからです。

そこでアメリカを筆頭に、各国協会もクレーコートを増やして、そういう人材を育成しようとしました。しかし結論を言えば、コートを変えただけでは、選手のメンタリティは変わりませんでした。スペインにはラテン系のアグレッシブな国民性がもともとあり、それがクレーコートの特性に合って、攻撃的な特徴が強められたわけです。

そんなスペインも、育成にはあまりおカネを使わなかったため、停滞してしまった。一方、オーストラリアは最近育成にかなり投資をしています。

──なるほど、確かにオーストラリアは若い年代の選手層が厚くなってきていますね。キリオス選手やトミック選手などタレントが出てきました。

中村:スポーツは文化と密接な関係にあるので、選手のDNAや国民性、さらに体型や思考回路も考慮して育成しないといけないのです。海外の変化に対応しながら、オリジナリティを求めていく必要があります。

──世界の最先端の情報を得つつ、自分たちのスタイルに合う育成スタイルを構築していくことが必要ということですね。

中村:そうです。変化に対応したうえで、しっかりとしたオリジナルの土台が必要。たとえば今、スペインが強いと考えてクレーコートを増やしても、その状況は3~5年で変わってしまいますから。

──クレーに強いスペイン勢が凋落(ちょうらく)してきたのは、なぜでしょうか。

中村:完成されたスター選手におカネを使うだけでなく、タレントの発掘と育成も同時進行させないといけない。その両立と継続が簡単ではないからです。

──なるほど。もうひとつ気になっていることがあるのですが、アメリカには以前、アガシ、サンプラス、ロディックという強い選手がいましたが、今は減ってしまった。環境は整っているのに、なぜでしょうか。

中村:その理由のひとつは、アメリカのアカデミーの衰退です。昔だと、ニック・ボロテリー・テニス・アカデミーを筆頭に、松岡修造さんがいたホップマン(現サドルブルック)などのアカデミーが林立し、海外からも選手がたくさん来て競争が激しかった。

しかし、今のアカデミーはビジネス化され、スカラーシップ(奨学金制度)も切ってしまったから、有望な選手もおカネの問題でなかなか留学できなくなっています。以前出てきた強い選手は皆アカデミー出身だったけれど、最近はアカデミー出身者には勢いがありません。ただし、IMGアカデミーだけは例外で、ここが独占している。その結果、育成の場が限られてしまっているのです。

中村豊(なかむら・ゆたか) アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業、(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭等を担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。 公式サイト:yutakanakamura.com

中村豊(なかむら・ゆたか)
アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭などを担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。公式サイト:yutakanakamura.com(写真提供:中村豊)

今後はどの国が伸びるか

──アメリカとスペインが衰退する中、今後はどこの国が伸びてくるのでしょうか。

中村:フランスとオーストラリアですね。フランスは指導者とスタッフをフランス人に限定し、常に選手を育成していて、システムもしっかりしている。フランス人は自国文化に高いプライドがあるから、指導者をフランス人限定にするのでしょう。そこには良い面と悪い面があります。

良い面は、彼らは技術的にも精神的にもクリエイティブで、フランス人特有の細かく柔らかいテクニックにこだわっていること。しかしその反面、グランドスラムを制覇するNo.1が出てこない。その理由はタフさが足りないから。そういう足りない部分は海外の指導から学ぶべきかもしれません。

──トッププレーヤーが出てこないのが不思議です。

中村:ただひとつ忘れてはいけないのは、協会ができることには限りがあるということです。真の才能はつくれるものではない。システムを構築したうえで、タレントが出てくるのを待つしかない部分があります。

日本にも才能がある選手はいます。これは断言できます。今後はそういった選手を中心に親や指導者の意識づけを高める環境つくり、その継続が次の錦織圭の発掘につながると思います。

*来週土曜日掲載の第3回に続く。

(聞き手:上田裕、木崎伸也、構成:栗原昇)

<連載「日本テニスレボリューション」概要>
プロテニスプレーヤーの錦織圭は昨年、日本人として史上初の4大大会決勝に進出し、年間最終ランキング5位の快挙を成し遂げた。本連載では、錦織圭の留学時代の元トレーナーで、マリア・シャラポワの現トレーナーである中村豊氏にプロテニス界の現状やスポーツ教育、トレーナーの視点を生かした食生活、健康管理などについて聞く。今回から特別編として、松岡修造氏が主宰する「修造チャレンジ」におけるメンタルサポートの責任者として活躍中の佐藤雅幸氏(専修大学スポーツ心理学教授)との対談を紹介する。「日本から錦織選手のような世界的な選手はどうすれば生まれるのか」というテーマについて2人のプロフェッショナルに語り尽くしてもらった。(全4回)
第1回:錦織圭の恩師が語る、トップ選手育成に大切な3つの条件