みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.17

酒鬼薔薇聖斗の手記「絶歌」出版をどう考える?

2015/6/24

連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗事、「元少年A」によるとされる手記「絶歌」。出版社の太田出版によりますと、初版は10万部で、5万部の増刷が決まっています。

あの事件とはいったいなんだったのかをリアルに描いているとする意見もあるようです。一方で、遺族の了解を得ずに出版されていて、一部の遺族から抗議をうけているという事などもあり、書店によっては販売を中止したり、注文のみに切り換えています。

事件の事を美化している、言い訳がましい、さらに印税が入ってくる事で「事件を売り物にしていいのか」という批判も高まっています。宮台さんは、この「絶歌」の出版をどのようにお考えですか?

まずは出版された経緯からお話しましょう。昨日(6月18日)発売の『週刊文春』によれば、この手記は2012年に幻冬舎の見城徹社長のところに封書で持ち込まれ、見城さんがこれを検討し、しかも週刊文春によると400万円以上がその作者に貸し出されたそうです。

しかし、そのうえで、「やはりウチからは出せない」という事で、見城さんから、この本が今出版されている太田出版に譲られたという話があるんですね。結論からいえば、見城さんの「ウチからは出せないな」という判断と、その判断の背景がポイントだと思います。

見城社長は、出版するには、(1)深い贖罪意識を持つ事(2)身元確認のためにも実名で書く事(3)遺族に事前に挨拶する事(必ずしも同意の調達ではない)、の諸条件をクリアする必要があったが、無理だと分かったので、太田出版の岡社長を紹介した、としています。

これら諸条件は当然で、これをクリアできなかったから出版しなかったというのは、本当ならば妥当な判断です。しかし、だからそれを太田出版につなげたのはどうなのかという事はありますが、もともと合法的な出版なので、問題があるとすれば太田出版でしょう。

とりあえず僕はこれを読んでみました。当人が書いたかどうかも分からないし、当人が書いたとすれば彼にお金を払うのも不愉快なので、自分では買っていません。すでに買ったという友人から借りて読ませてもらいました。以下は読了後の数分間で思った事です。

編集者が出版したくてたまらなくなった気持ちはよく分かります。第一に、いわゆるモンスター犯罪者の現在の自己理解がどういうものか。編集者も知りたかっただろうし、僕も知りたかった。そういう意味では、そうした期待に応えるような内容が書いてあります。

第二に、首の切断で射精に到る性的快楽を得た(既に噂されていた情報)という性的倒錯の実態と、当事者の生々しい感覚がどういうものだったのか。編集者は知りたかったでしょうし、僕も知りたかった。そうした期待にも応えるような内容も書いてあります。

あの事件とは何だったのか、という疑問を持つ多くの人たちの、期待に応えるような内容が書いてあるのは、後で断るように暫定的にではありますが、事実です。しかしだからといって「この本が出て良かった」と単純にいえるわけではない。幾つか理由があります。

第一に、この手記が当人によるものだと判断するべきどんな証拠もありません。『週刊文春』の記事を読むと、幻冬舎も太田出版も戸籍に遡った本人確認をしていません。太田出版が本人だと主張したいのなら、見城社長が言うように、実名での出版が必要になります。

第二に、当人によるものだったとしても、この本が正直な告白だと判断すべきどんな証拠もありません。この本には「自分は嘘つきだった」という事が縷々書かれていますが、だったらこの手記が嘘だらけでないと信じるのは、クレタ島人のパラドックスになります。

記事によれば、幻冬舎に2012年に持ち込まれて二年間、社内で共同の編集作業が行われていたとの事。太田の担当編集者──『完全自殺マニュアル』編集の落合美沙氏ですが──たとえ「一言も手を加えていない」と語ったとしても、太田が加えていないだけの話。

以上の理由で、これが犯罪を犯した当人による自己告白的なノンフィクションだと理解するべき材料を、僕たちは一切持ち合わせていません。にもかかわらず、正直な自己告白という前提でノーテンキに評価を語るテレビの馬鹿コメンテーターどもには、辟易します。

その意味では、さきほど「暫定的に期待に応えてくれた」旨を語りましたが、本当のところ誰が書いたのかがよく分からない事を考えると、全ての内容的な感想を保留せざるを得なくなります。そうした奇妙な本を出版する事についての社会的責任はどうなのか。

第三に、もし当人による記述だと仮定すると、この本の中には極めて身勝手な主観的評価が──過去についての現在の記憶として──山のように入っていて、倫理的に不愉快になる。そうした主観的評価が放棄されていない事が何を意味するのかという問題です。

例えば鑑定医だった「ワトソン」という人の描写。この人が自分と同じようなタイプの変態的な人間に違いないといったような断定が書いてあったり、チェ・ゲバラやガンジーについても、自分と同じような意味で性的な「ド変態」だっただろうと書いてあります。

通常ならばもちろん構わないですよ。人間は主観の動物なんだから。でも執筆者が何者としてクレジットされているかを考慮すれば──本当は何者なのか分からないけれどここでは誰が書いた手記だと表明されているかが問題──「もちろん構わない」では済まない。

連続児童殺傷事件の犯人が歴史上の偉人と同列であるように自らを語る事をどう見るか。「更生」とは厳密には難しい概念なので敢えて触れませんが、「連続児童殺傷事件の犯人であれこうした事を書いて良い」という道義的な許容は、あり得ないだろうと思います。

第四に、さらに踏み込めば「自分は病気やねん」という言い方をしているところがあります。例えば145ページ。これはまずい。確かに鑑定では病気だとされて医療少年院に送られた。でも自分は病気だったという思いを記述する事は、倫理意識に疑念を抱かせます。

「自分は病気だった」と病気概念を自己適用する事と、「病気だ」と鑑定された事実との違いは何か。簡単です。鑑定はどうあれ、自分で自分を「病気だった」とする事で直ちに自己免罪化が持ち込まれます。他にもこうした文言がこの本には随所に入っています。

ご存じの通り刑法39条には「心神喪失者の行為はこれを罰せず」とあります。法的な扱いとしては、心の病気である場合は犯人のせいというより病気のせいだから、犯人を罰するのではなく病気を治すとの趣旨です。犯罪行為の構成要件に該当せず、という事です。

これと全く同じ法理が、医療少年院への送致処分の背景にあります。法的な扱いとして「犯人のせいというより病気のせい」であっても、それを犯人が自己認識として表明するという事になると、社会的な意味は、法的な扱いとは分化したものにならざるを得ません。

第五に、結局「出版」という営みでは、社会的な意味についての、出版社や執筆者の自覚や反省が問われます。当たり前だけど、今回の出版については、法的な問題は出版社にも執筆者にもないでしょう。太田出版も顧問弁護士に相談した上で出版しているはずです。

だからといって社会的な批判が当たらないとは言えない。なぜなら我々の社会では、民事、刑事の法的責任とは別に、道義的責任があると考えられているから。例えば法が許しても、被害者家族が許さない。あるいは社会が許さない。そういう事があり得る訳です。

とりわけ被害者が死んでいる場合、そもそもどんな罰を受けたところで、取り返しがつかない、つまり原状回復が永久に不可能である以上、永久に埋め合わせられない家族の穴、社会の穴について、道義的な責任が一生ついてまわると考えなければならないはずです。

だから、法的に自由になっても、道義的には謝罪し続けなければならないという立場に、犯人はあると考えられます。そうした道義的な責任を果たすべく、刑期を終えても謝罪し続けて遺族の思いに応える事。その事と、本書の無断出版は、やはり矛盾します。

せめて、こうした事件に関する、犯人(を称する著者)による手記の出版については、事前に遺族に通知をし、説得をし、その反応を出版の是非の判断材料にするべきでしたね。もちろん、被害者家族が反対したら出版するな、という事では必ずしもありません。

しかし被害者家族の反応を踏まえた上でどう再検討したのかの道理を、社会に示せるようにしておく事が大切です。ところが太田出版は「遺族の判断を頼る事は出版社としての責任を放棄する事になる」と詭弁を弄している。は? 遺族の判断を頼る? 笑止千万。

繰り返しますが、遺族に事前に通知して説得を試みる事と、遺族の言う事に従う事は、別問題。家族に周知し、その反応を事前に捉えようとせずに、今も悲しみに暮れている被害者の家族に不意打ちのようにした道義的な責任を、出版社はやはり免れません。

だから僕はこの本を買うのは「間違っている」と思います。10万部売れれば、1500万円の印税が著者に入ると計算できます。もちろん同額以上が出版社にも入る訳です。これは誤ったメッセージを発信します。たとえ印税が民事賠償に充てられるとしても同じです。

出来るだけ酷い犯罪を犯して手記を書けば本人も出版社も儲かるぞ!という、実におぞましいメッセージです。だからもう一度いいます。この本を出版した事は間違ってますし、この本を買う事も間違ってます。皆さんは、このおぞましさを増幅させたいんですか?

(構成:東郷正永)

<連載「みなさんの常識は、世界の非常識」概要>
社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景をわかりやすく解説します。本連載は、TBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

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