日本における取調べと自白の歴史
コメント
注目のコメント
江戸時代よりも前の日本、たとえば室町時代では、否認を続ける被疑者に対して有罪判決を下すかどうかといったタイミングで湯起請の実施申出がなされることがありました。
湯起請は、お湯に手をつっこんで火傷をするかどうかで証言の信用性を検討する非科学的な営みではありますが、当事者の主張の食い違いについて客観的証拠に基づく判定がどうしてもできないようなケースに利用は限られ、無罪を主張する被疑者が、自身の潔白を証明するために自ら申出がされた例もあります。お湯に手を突っ込んでいるところは措いて、現代からすれば糾問主義的と評価され得るような中世の裁判手続においても、当事者の主張と客観的な証拠自体は重視していたことが伺われます。なお、湯起請の結果に関わらず客観的な証拠との不整合から「やっぱりあやしい/あやしくない」といった再検討はされていたようで、純粋な神頼みというわけでもなかったようです。
江戸時代では、訴訟体制の整備が進むにつれて非科学的な湯起請は廃れてしまいました。徳川吉宗は、相対済し令によって民事裁判にかける公費を削減し、公事方御定書の制定により、従来よりも裁判に効率性と合理性を追求しました。これらは、幕府の財政難を立て直す最中に打ち立てられた改革で、証拠の取扱いについても役人のスキルの上下によらずできるだけ公平かつ迅速な裁判が実施できるように工夫がされたといわれています。司法リソースを節約するための自白偏重という観点と、捜査の合理化という点では、現代日本でも同様の観点から自白を重視しているとも考えられますね。
公事方御定書では、自白をしない場合の拷問実施について謙抑的な在り方も説いており、自白を重視する一方で、虚偽自白が生じる可能性の高い取調べ手法を制限することも盛り込まれていました。また、これまで刑罰の重さに偏重していた刑事裁判の場を、犯罪者の更正に目をむけたものでもあり、近代水準でいえば不十分なのですが、理性的な面も見られるのが面白いです。取調べに依存していると言われる日本の捜査ですが、実は江戸時代には自白がないと有罪判決を下すことができないといった歴史的ルーツもあったことをご存じでしょうか。歴史的な観点も踏まえて日本の取調べを考えました。
角川歴彦さん著「人間の証明」を読み、改めて「人質司法」の恐ろしさ・理不尽さにふるえています。世界的にも異常な取り調べ、閉鎖・自白主義。国際的にも知られる後進性。それはこうした歴史を紐解かないと理解できないのかも。筆者・西弁護士は、角川さんが起こす「人質司法違憲訴訟」の弁護団メンバーだそうです。