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このままではフランス映画の二の舞い

日本のゲーム業界がガラパゴス化する4つの原因

2015/6/20

ガラパゴスのジレンマ

「クールジャパン」。それはコンテンツ・食・ファッションなど「文化」に紐づく市場が、世界で463兆円(2009年)から932兆円(2020年)に膨らむ見込みのもと、日本発コンテンツで切りこもうという試み、合言葉です。その狙いもあながち悪くありません。

なぜなら、世界のコンテンツ市場60兆円の中で、米国の29兆円に次いで日本の9兆7000億円は世界第2位。ドイツの5兆8000億円、イギリスの4兆8000億円、フランスの3兆7000億円や中国の4兆8000億円にダブルスコアで差をつけています。

ただ……、そのうち海外で稼いだ額で言うと、2008年をピークに「下降がとまらない」状況。かつ、その9割はゲーム。クールジャパンは1990年代末からのイギリス、フランス、韓国などの成功例にならって、ここ10年ほど推し進められてきたにもかかわらずこの有り様です。
 bannam_grp_02_コンテンツ海外輸出の状況

コンテンツ業界の特徴は主に4つあります。

1:「収益期待:失敗確率の高い多品種少量生産(半分以上は採算がとれずに終わる)」

2:「需要:代替品がなく、一元的な競争基準がない(必需品でなくオンリーワンで競い、バイラルの影響度が強い)」

3:「生産:経営資源の人依存度が高く、参入障壁は低く生産性も測りにくい」

4:「スケール:使用頻度によって価値が減らず、むしろ増す権利ビジネス(かたちのないブランドイメージでいかに多チャンネルで視点をキャッチするか)」

簡単に言うと、「売れるかどうかなんて誰もわからないし、内容もクリエイターの思いつきで当たれば儲けもの。広いチャネルがあったらIP化できるし、いいよね」という業界です。単発的な情報・資本提供ですぐに成果が出るものでもありません。

そんな業界が今、「ガラパゴスのジレンマ」にとらわれています。10兆円もの日本市場をホームとしているがゆえに、そこを捨て切ることができない。文化的・制度的に強い参入障壁で守られた日本市場の競争力が、海外市場での勝ちパターンにつながらない。これは日本の全産業に通じる話です。

フランス映画の敗因から考える、日本ゲームの末路

そうしたとき、思い浮かぶのはフランスです。現在、全世界の上映映画の7割はハリウッド発のもので占められていますが、20世紀初頭の映画の都といえばパリでした。2大映画会社のうちのパテという企業だけで当時の米国全土の映画の2倍の量を制作しており、1925年時点でアメリカに入ってくる映画の7割はフランス映画でした。

しかし、世界中を席巻していたフランス映画の独占的地位は、第2次世界大戦後大きく逆転されてしまいます。なぜでしょうか。

大戦で映画業界の人材がアメリカに流れたのも理由のひとつですが、何よりもフランス映画は「フランスのためにつくられ続けた」ことが大きな敗因でした。欧州は高齢者の層が厚く、かつ彼らは熱烈な映画ファンでした。輸出しにくいコメディなども好まれ、フランス映画はそうした保守層に向け、堅実な売上・収益を見込んでつくられ続けてきたのです。

一方のアメリカは、欧州より10年早くテレビが普及し、戦後すぐに産業の危機に直面します。若者がテレビに飛びつき、映画業界はそれに対抗すべくセックスやバイオレンスといった“禁じ手”も繰り出します。

創り手の自由な発想、若者向けコンテンツ、それが当たってアメリカ映画は一大輸出産業への道を歩みます。若者コンテンツの王道であるヒーローやアクションといったジャンルは、「世界のエンタメの最大公約数」を獲得するうえで強力な武器となったのです。

その当時、フランスのトップタイトルは多言語に翻訳すらされず、十分な市場規模があったフランスの顧客のためだけにつくり続けられました。市場が飽和しても、停滞が始まっても、一度慣れてしまったつくり方を変えることは容易ではありません。

現在もフランスは映画産業の中ではユニークな作品が多く、ある程度の存在感は保っています。ですが、この先大きな構造変革を起こせるような期待感はありません。

「低額だけどユニークな作品をつくるが、どうもダイナミックさに欠ける」。フランス映画界の姿は、今の日本ゲーム業界・日本コンテンツ産業と重なります。

成功体験のアンラーニング:陸に上がる魚

では、どうすれば「ガラパゴスのジレンマ」を乗り越えられるのか。私自身は「成功体験のアンラーニング(捨て去る)」だと思っています。

たとえば、リクルート。リクルートは、強烈な営業カルチャーで有名です。ただ「ホットペッパー」にしても「ゼクシィ」にしても、中国に移植することは困難でした。フリーペーパーという参入障壁の低いビジネスモデル自体も、あっという間に競合が雨後の筍のごとく生まれ、差別化できないままに終わりました。

無数の試行錯誤の中で、ようやく唯一つかんだものが、市場ニーズと組織内判断を連動させる「ユニット経営」という経営手法です。生傷を負いながら「発見」した自分たちの強みが、今の欧米派遣会社の買収・収益化へとつながっています。

強烈なコミットメントと1人ですべての仕事をこなすカルチャーを持つディー・エヌ・エー(DeNA)もまた、欧米企業を買収後、現地との間に多くのハレーションを起こしてきました。どんな強みが海外での付加価値になるのか、いまだ生みの苦しみの途上にいます。

強みが極端なレベルまで先鋭化されているからこそ、これらの企業は日本でトップの座についています。ですが、異端な日本の産業構造・文化の中で先鋭化された強みは、一歩外に出ると、とむしろ阻害要因になることのほうが多い。

試行錯誤はあらゆる会社に必要なプロセスであり、それは2〜3年どころか、10年といった単位で必要です。米国の自動車会社がトヨタ自動車の生産工程システムをマネするには20年の時間を要しました。車の欠陥率にしても工程の少なさにしても、ビデオ撮影してきた工程管理を見せられても、最初はそれを信じることすらできなかった。

まず日本が優れていることを認めるのに5年かかり、次の5年は日本の特殊な文化によるものだと思い込もうとしていた。しかし、トヨタはアメリカでも工場をつくり、同じ離れ業をやってのけた。その次の5年でファクトリー・オートメーションからジャスト・イン・タイムシステムまであらゆるものを研究し、それらを導入しても同水準にはたどり着かず、最終的にそれが社員の能力とリーダーの責任によって成り立っていると認めたのが最後の5年、という具合です。

今、日本のコンテンツ業界は吊り上げられるのを脅える魚のようなものです。陸を知らず、上がり方もわからない。釣り上げられてから陸を知っても「The End」。誰もが陸に向けて上がらねばと叫びながら、実際に行ってみる事例は稀。エラ呼吸ができないからと陸を怖がっていては、いつまでたっても陸で生きられるようになりません。

進化とは自分の強みを捨てる勇気を持ったものにこそ与えられる恩恵です。私も今まさに呼吸困難の苦しみの最中にありますが、重力400倍のこの環境で重い胴着を背負って修業中です。

*本連載は隔週土曜日に掲載予定です。