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どの大学に行っていても賃金に差はない

偏差値の高い大学に行くことは本当に大事なことなの?

2015/6/20

偏差値の高い大学と収入の関係性は?

偏差値の高い大学に行くことはそんなに重要なことなのでしょうか。そんなことは言うに及ばないと思われるかもしれません。

多くの人が「どの大学に行くか」を、ものすごく大事なことだと考えているからこそ、受験はこんなにも競争が激しいのでしょう。

人々が、受験戦争を勝ち抜いて、偏差値の高い大学へ行くことが重要だと考えるのは、偏差値の高い大学へ行けば、卒業した後によい企業に就職することができ、将来の収入が高くなると考えるからでしょう。

しかし、本当にそうでしょうか。偏差値の高い大学に行けば、収入は高くなるのでしょうか。この問いの答えはそう簡単ではありません。

ここでも、偏差値の高い大学に行くことが、将来の収入に因果的な効果を持つのか、ということを改めて考える必要があります。

偏差値の高い大学に行ったから収入が高くなるのか(因果関係)、もともと収入が高くなるような能力の高い人が偏差値の高い大学に行くことができているのか(相関関係)、どちらでしょうか。

「人的資本論」と「シグナリング理論」

教育が収入に与える影響を考えるために、ともにノーベル賞を受賞した偉大な経済学者による2つの理論をご紹介したいと思います。

1つは、1992年にノーベル賞を受賞したシカゴ大学の故ゲーリー・ベッカー教授が、1964年に提唱した「人的資本論」です。

人的資本論によると、人々は教育を受けることで高い技能や豊富な知識を身につけ、生産性が上昇し収入の増加につながります。高卒労働者よりも、偏差値の高い大学出身の労働者のほうが収入が高いのは、彼らの生産性が高いことによって説明されるというわけです。

一方、2001年にノーベル賞を受賞したニューヨーク大学のマイケル・スペンス教授が、1973年に提唱したのが「シグナリング理論」です。シグナリング理論によると、雇用者側は、労働者の能力が高いのか低いのかはよくわからないので、「偏差値の高い大学卒」というシグナルでもって、その能力を判断すると仮定しています。

ですから、偏差値の高い大学の大学生が、生産性上昇につながる技能や知識をまったく身につけることができていなかったとしても、「偏差値の高い大学卒」のシグナルのおかげで、彼らの収入は高くなるということになります。

つまり、人的資本理論は、教育は個人の能力を高めると考えていて、シグナリング理論はそうではなく、自分の潜在的な能力を示すシグナルにすぎないと考えているというわけです。

現実をより説明することができているのは、人的資本理論と、シグナリング理論のどちらなのでしょうか。

偏差値の高い大学に行く人とは

マスマティカ研究所のステイシー・デイル研究員らが発表した非常に有名な論文は、米国で行われた長期の追跡データを用いて、「ある大学に合格して実際にその大学を卒業した人」と、「ある大学に合格したが実際にはその大学に行かなかった人」のその後の賃金を比較して、この2つのグループの賃金の間には、統計的に有意な差がないことを明らかにしています。

つまり、偏差値の高い大学に合格して、実際にその大学に進学した人は、同様に偏差値の高い大学に合格はしたけれども、その大学には進学せず、もっと偏差値の低い大学に進学した人と同程度の賃金しか得られていないことになります。

デイル研究員らは「偏差値の高い大学に行くことのペイオフ(利益や儲け)というのは決して高くない」という結論に至っています。米国の大学教育においては、シグナリング理論が成り立っている蓋然(がいぜん)性が高いということになるでしょう。

もちろん米国の研究結果をそのまま日本にあてはめて考えるわけにはいきません。米国の大学の入試選抜は、学力テストだけでなく、内申点やエッセイ、教員の推薦状などから総合的に行われるので、大学に合格するのに必要な能力は、将来高い収入を得るのに必要な能力と類似している可能性があります。

もしそうであれば、「偏差値の高い大学へ行った人が良い収入を得られている」のではなく「将来良い収入を得られるような人が偏差値の高い大学へ行っている」という結果になるのもさほど不思議ではないでしょう。

しかし、日本の入試選抜は米国と異なり、まだまだ筆記試験が中心ですから、米国とは同じ結果にならないかもしれません。そこで私は、学習院大学の乾教授らとともに、こうしたテーマで日本において研究を行いました。

日米で異なる研究結果の理由

私たちの研究は、デイル研究員らのアプローチとは異なり、ペンシルベニア大学のジェレ・バールマン教授らが過去の論文で採用したアプローチと同様の手法を用いています。

バールマン教授らは、ミネソタ州で同じ高校を卒業し、別々の大学に進学した女子の一卵性双生児のデータを用いて、小規模で、私立、博士課程があり、年齢の高い教授ほど高い給料をもらっている大学は、卒業後の賃金が高い労働者を輩出できているということを明らかにしました。

これは、外見、性別、能力、家庭環境の面で極めて類似性の高い2人が、高校まで同じところに通っていたけれども、別々の大学に進学した場合、この2人が卒業した後に収入に差が生じたかどうかを見ているわけです。

私たちの研究では、日本在住の20歳から60歳の約1300組の一卵性双生児のデータと、予備校が収集した偏差値データ、文部科学省が収集した「学校基本調査」という統計から得られた学校別データを突合し、どのような大学に行くと、卒業後の賃金が高くなるのかを明らかにしようとしました。

すでに述べたとおり、バールマン教授らの研究では、小規模で、私立、博士課程があり、年齢の高い教授ほど高い給料をもらっている大学の卒業生の賃金が高い傾向であることが示されましたが、私たちの研究では、どの大学に行っていても賃金に差はないという結果になりました。

こうした結論が導かれる背景には、大学間の資源配分にほとんど差がないという可能性が指摘できます。卒業生の賃金に差が生じるためには、その大前提として、博士課程がある大学とない大学、年齢の高い教授の給料の高い大学と低い大学、などのように大学によってかなり差や特色がある必要があります。

しかし、日本の大学は、特に国立大学法人の場合、国の財政法・会計法などの枠組みが適用されるため、予算執行の柔軟性は著しく限定されています。

学校基本調査の学校別データをみても、日本の大学の資源は大学間のばらつきが非常に小さく、その傾向は2004年に国立大学が法人化されて以降もほとんど変化していないのです。

また、米国の有力大学の資金調達は運用・特許・寄附などその収入源が多岐にわたるのに対し、日本の大学はその収入源を、国立大学の場合は運営費交付金に、私立大学の場合は学費に頼っているという現状があります。

このように支出、収入の両面において、大学経営は横並びで、大学によって特色があるという状況にはなっていません。

このことが「もともとの能力が同じならば、どの大学に行っても卒業後の賃金は変わらない」という結果をもたらしているのではないかと考えられます。

大学に入学することが目的の日本

大学における人材育成機能がうまく機能するためには、大学における資源配分が最適化されるよう、大学の資金調達、配分における裁量を高める規制緩和とセットでなければならないのではないでしょうか。

仮に資源配分がうまくいっていたとしても、学生側が大学の資源をうまく利用する動機を持たないという可能性もあります。よく日本の大学は「入学するのが難しく卒業するのが容易だ」と言われます。

日本の大学は、欧米の大学対比でみると、入学後の教育に対する負荷が少なく、単位取得や卒業へのプレッシャーが少ないため、大学生が単位を落とすまいと必死になって勉強する、という光景は日本ではあまりみられません。

この状態を的確に指摘したのが、オックスフォード大学の苅谷剛彦教授です。苅谷教授は、学生が入学した大学の偏差値と授業出席率には負の相関があることを明らかにしています。

つまり、難易度の高い大学の学生は、かえって出席率が低くなる傾向が示されていて、入学難易度の高い大学に入った学生ほど、大学の付加価値は「卒業」することではなく「入学」することにあると考えていることがわかります。

米国では、偏差値の高い大学の学生ほど出席率が高いことが示されているのとはまったく逆の結果になっているのです。

また、就職活動期間の長期化や学年を問わない採用は、企業もこのような見方をしている可能性が高いことをうかがわせます。

「エビデンス」の活用を

最近では、大学入試や大学再編の改革案に関する話題が、注目を集めています。これまでの研究や社会からの要請を踏まえると、大学教育に何らかの改革が必要であることは論をまちません。

しかも、大学入試や大学再編の改革は、大学のみならず、高等学校以下の教育にも大きな影響を及ぼす非常に重要な改革であると言えます。

しかし、こうした重要な教育改革に際し、十分な科学的検証が行われ、公表された形跡はありません。大学入試や大学再編に関するいずれの改革案についても、特定の識者や現場の当事者の「こうあるべきだ」という個人的な経験に基づく見解のほうが日本の教育政策の変化を主導しているように感じられてならないのです。

誤解のないように強調しておきたいのですが、私は大学入試や大学再編の改革のすべてをエビデンスに基づいて行うべきだとは考えていません。

国民が改革案を合理的に判断するためには、特定の識者や現場の当事者の経験に基づく提案のみならず、個人の経験を大量に観察することによって導き出される規則性──これを経済学者は「エビデンス」と呼んでいます──もあわせて政策決定の現場で活用することに何ら損はないはずだと考えているのです。

教育にエビデンスを。

私が本連載を通じて一貫して伝えたかったことを、皆さんにご理解いただけたとすれば、これに勝る喜びはありません。

(終わり)

(構成:長山清子)

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<連載「科学的根拠から考える教育&子育て相談」概要>
今日、さまざまな教育論があふれているが、その多くは個人の経験に基づいたものであり、科学的な論拠に乏しい。では、教育には確たるエビデンスはないのか。そのひとつのヒントを与えてくれるのが、教育と経済を融合させた「教育経済学」だ。教育経済学の専門家である、プロピッカーの中室牧子・慶應義塾大学准教授が、データを駆使した科学的根拠に基づく独自の教育論を、全5回の連載でお届けする。
第1回:ゲームは子どもに悪い影響を与えるのですか?
第2回:ご褒美で子どもを釣ってもいいのですか?
第3回:キラキラネームを子どもにつけてはダメですか?
第4回:「日教組が強いところは学力が低い」は本当ですか?

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