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第1回:日本から世界的なテニス選手はどうすれば生まれるのか

錦織圭の恩師が語る、トップ選手育成に大切な3つの条件

2015/6/20
プロテニスプレーヤーの錦織圭は昨年、日本人として史上初の4大大会決勝に進出し、年間最終ランキング5位の快挙を成し遂げた。本連載では、錦織圭の留学時代の元トレーナーで、マリア・シャラポワの現トレーナーである中村豊氏にプロテニス界の現状やスポーツ教育、トレーナーの視点を生かした食生活、健康管理などについて聞く。今回から特別編として、松岡修造氏が主宰する「修造チャレンジ」におけるメンタルサポートの責任者として活躍中の佐藤雅幸氏(専修大学スポーツ心理学教授)との対談を紹介する。「日本から錦織選手のような世界的な選手はどうすれば生まれるのか」というテーマについて2人のプロフェッショナルに語り尽くしてもらった。(全4回)

練習時間とリカバリー時間がアンバランス

──今回は、日本から錦織圭選手のような世界的なテニス選手を生み出すための方法についてお話を聞きたいと思います。錦織選手のようなタレントを子ども時代に選抜して組織的に育てるか、それとも選抜しないで広く底上げをするべきか。どのようなアプローチがよいのでしょうか。

佐藤:裾野を広げ底上げしたうえで、選抜していくのが理想的ですね。幼少期に錦織君はお父さんから手ほどきを受け、島根県の松江でのびのび育ちました。全国小学生大会で優勝して、「修造チャレンジ・トップジュニアキャンプ」に参加したことで、松岡君と世界的な名コーチであるボブ・ブレットから才能を見い出され渡米しました。

結果論になるかもしれませんが、もし、日本を拠点にして活動していたとしたならば、今の活躍はなかったかもしれません。そもそも、日本はテニスをする環境に恵まれていません。

僕は日本の子どもの練習環境をチェックしたことがあります。子どもたちが置かれている生活環境を調べたら、自宅、学校、テニスクラブというように移動時間が長く、練習する時間と疲労回復(リカバリー時間)のアンバランスが浮き彫りになりました。

学校が遠いから朝6時に家を出て、帰ってくるのは夜の10時という生活を送っている子どもたちが多かったです。このような環境では伸びるものも伸びません。

──確かに、アスリートを育てる環境ではありませんね。

佐藤:一方、アメリカの「ホップマン・テニス・アカデミー」や「IMGアカデミー」にいる子どもたちの生活は、まったく違います。アカデミーの寄宿舎で生活しており、いつでもふんだんに練習できる環境にいる。こういう日々の差が累積したら、日本にいてはどうしても追いつけない。だから、錦織君はアメリカへ渡ったのです。

ただ誤解してほしくないのは、アメリカに渡れば強くなるというのは間違いで、そこでのサバイバルもまた激しく、そこを上手に利用する能力やさまざまなチャンスに恵まれなければ失敗に終わります。

──アメリカでは、学業とスポーツの両立はどうなっているのですか。

中村:公共教育に対する文化が違っていて、個人ごとにカリキュラムを大胆に変えることができます。たとえば、午後からの授業は省いたりすることもできる。自分の子どもに一流アスリートになってもらいたいという親の思いが強く、それを学校も理解して優遇してくれるからです。日本だと、私立の学校でもそうはいきません。さらに、アメリカでは「ホームスクール」がかなり普及しています。

──家庭教師がつくのですか。

中村:オンラインの通信教育のことです。もしそれで不十分なら家庭教師も雇います。

佐藤:錦織君も青森山田高校の通信教育をアメリカで受けていましたね。

中村:アメリカでも学業とスポーツの両立は理想ですが、才能があるならスポーツをある程度メインにする生活ができるわけです。夢の達成のためには、融通が利くというか、変化をつける。そこがアメリカのダイナミックさです。

中村豊(なかむら・ゆたか) アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業、(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭等を担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。 公式サイト:yutakanakamura.com

中村豊(なかむら・ゆたか)
アスリート形成をモットーに、主要3項目(トレーニング、栄養、リカバリー)から成るフィジカルプロジェクトを提唱している。米国フロリダ州をベースに活動し、海外で幅広いネットワークを持つフィジカルトレーナー。米チャップマン大学卒業、(スポーツサイエンス専攻)。2001年、米沢徹の推薦でIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて盛田正明テニスファウンド(MMTF)へトレーナーとして参加、錦織圭を担当する。2005年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーのトレーニングディレクターに就任。フィジカルトレーニングの総括、300名のフルタイムの生徒、IMG ELITE(IMG契約選手)、マリア・シャラポワ、マリー・ピエルス、トミー・ハース、錦織圭等を担当する。現在はシャラポワのフィジカルトレーナーとして活動。そして今季から女子ゴルファーのジェシカコルダのフィジカルプロジェクトをスタートさせている。アスリートとしてのフィジカル/身体能力向上を主にプログラムを作成し遂行。公式サイト:yutakanakamura.com(写真提供:中村豊)

カレッジになるともうプロに近いアメリカ

──では、テニスの練習から夜10時に帰ってきて食事という子どもは、アメリカにはいない?

佐藤:少ないのではないでしょうか。これは、中村君のストレングス&コンディショニングにも関係があるわけですが、練習&トレーニングと栄養、そして休息はパフォーマンス向上のための欠かせないパッケージです。セットです。僕は睡眠の研究もしていますが、やはり子どもの場合は、夜は早く寝てしっかり休息をとるべき。そうしないと伸びない。これはすべてのスポーツに当てはまります。

──日本は学校が柔軟に対応する文化がない。これが大きな障害になっているわけですね。

中村:そういうことです。結局、日本は大学にしてもアマチュアリズムであるのに対し、アメリカの場合はカレッジになると、もうプロ選手に近い状態になる。カレッジもビジネスとして成功させたいから環境を整えるのです。

佐藤:パフォーマンスを向上させるためには、練習の質と量は譲れません。日本では、それを確保しようとすると睡眠時間が削られ、食事のタイミングも犠牲になる。だけど、最近ではスポーツ科学の研究が進み、しっかり眠らないとダメ、食事は練習が終わってから何分以内に取るべき、ということがわかってきている。

昨年のソチ五輪の前は、質の高い練習をして、そのあと休息して栄養を取るという“リカバリー”が日本選手団のキーワードでした。休息しないで慢性疲労がたまったら、もったいない話です。

──では、理想の育成環境はどんなものでしょうか。

中村:トップを育成するのに大切なことは、環境、競争、施設の3つです。まず練習に専念できる生活環境。その中には学校の体制やコーチ陣などのスタッフも含まれます。施設というのはジムやグラウンドなど。体が大きくなる時期にはジムが必要です。そして、競争は高校生以上になってくると、細かい指導よりも重要度を増します。だから、この3つがうまく組み合わさっているのが、理想の育成環境となるのです。

──その3条件がうまく集まっているのが、やはり以前中村さんがいたIMGアカデミーなどのアメリカのアカデミーですか。

中村:そうです。やはり理想はアカデミーです。大学にも選手を育成する施設があるけれど、まったくレベルが違いますから。

佐藤雅幸(さとう・まさゆき) 1956年、山形県生まれ。78年仙台大学体育学部卒業、82年日本体育大学大学院体育学科研究科修士課程修了。専修大学教授(スポーツ心理学)、同大学スポーツ研究所所長。同大学女子テニス部の監督を務め、92年は王座優勝を果たした。現在は同女子テニス部統括。修造チャレンジメンタルサポート責任者。1994には、長期在外研究員としてカロリンスカ研究所(スウェーデン)に留学した。

佐藤 雅幸(さとう・まさゆき)
1956年、山形県生まれ。1978年仙台大学体育学部卒業、1982年日本体育大学大学院体育学科研究科修士課程修了。専修大学教授(スポーツ心理学)、同大学スポーツ研究所所長。同大学女子テニス部の監督を務め、1992年は王座優勝を果たした。現在は同女子テニス部統括。修造チャレンジメンタルサポート責任者。1994年には、長期在外研究員としてカロリンスカ研究所(スウェーデン)に留学した。(写真提供:佐藤雅幸)

なぜ、日本にアカデミーは馴染まなかったのか

──日本から世界へとなると、アカデミーを増やしていく必要があるわけですね。

中村:そうですね。錦織選手もそうですが、育成にはフィジカルトレーナー、心理学者、技術的なコーチと、さまざまなスペシャリストを結集することが不可欠です。

佐藤:実は日本にもアカデミーはあったのです。中村さんが10代の頃に在籍していた「湘南スポーツセンター」です。ここはアメリカの「ニック・ボロテリーアカデミー(現在のIMGテニスアカデミー)」をモデルにしてつくられた寄宿舎型の養成所で運営していた。けれど、残念ながら日本の文化には馴染まなかった。

──なぜ、馴染まなかったのですか。

中村:理由はテニスというより、学校教育の問題と寄宿生活の問題です。やはり中学生から親元を離れるわけだから、テニス以外のこともケアしないといけない。そこがルーズすぎたり、アカデミーが定期的に親に連絡しなかったり。そういう小さな問題が重なってしまったのです。テニスのコーチがハウスペアレンツみたいな役で宿舎内を巡回し、役割分担はしっかりできていたのですが、実際やってみると、足りないところが出てきた。

佐藤:もう30年近くも前の話だから、今とは時代が違っていたのかもしれません。

──では、今アカデミーをつくったら、うまくいくかもしれない?

中村:そうですね。今の親はアカデミーのシステムを活用したいという意思が強くなっていると思いますから。

──アカデミーをやるとなると「修造チャレンジ」を365日、毎日やるようなイメージになるのですか。

佐藤:それに近いものはあるかもしれない(笑)。ただ合宿の場合、自主練なども含めて毎日厳しい練習をしますので、細かい内容はもちろん異なると思いますが。

──日本ではうまくいかないアカデミーがアメリカでうまくいくのは、学校と指導者の間をつなぐコーディネーターがいるからでしょうか。

中村:それもあります。アカデミーを卒業した後、全員がプロになれるわけではないので、コーディネーターがカレッジへの仲介もしています。

──プロになれなくても、ほかの道をちゃんとサポートする。だから、アメリカでは親も安心してアカデミーに預けられるわけですね。次回は、「錦織圭はアメリカが育てたのか、それとも日本が育てたのか?」というテーマについてお話を聞かせてもらえればと思います。

*来週に続く。

(聞き手:上田裕、木崎伸也、構成:栗原昇)