【熊谷俊人】候補者をバカにする前に、選挙制度を議論しよう
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注目のコメント
都知事選と選挙制度などについて取材頂きました。
選挙は立候補する人がいなければ成り立ちませんし、立候補者が多ければ、その分、有権者の選択肢が増えます。落選した人を笑わず、選択肢を作った人として評価されることが民主主義にとっては重要です。
その上で、今起きている問題について、制度的にどのような改善が可能か、今のルールができた時の事情も振り返りながら議論が深まると良いですね。日本社会では「平等」が好まれます。あくまで、日本的な意味での「平等」です。
日本で供託金が高いのと、選挙ポスター掲示板、政見放送があるのはセットです。
これらは、候補者の日本的平等、つまり、有権者の目に触れる機会の平等という嗜好に対応するためのものです。
選挙ポスター掲示板や政見放送が無いとどうなるかというと、テレビCMをバンバン打てるだけの資金のある候補者だけが当選します。もしくは、すでに有名人であるか、宗教団体などがバックについているか、です。供託金などとは桁が3つも4つも違う資金が必要になります。
米国であれインドであれ、多様性と競争のある選挙をやっている国というのは、金の勝負です。
ヘンな候補者がたくさん出てくるのは、自由な選挙をやっている国ならどこでも出てきます。米国とか英国でも何百、何千と出てきます。
何百人もが立候補しますが、選挙ポスター掲示板も政見放送もないので、存在を認知されません。存在を認知されるのは資金のある候補者だけです。
政策についての議論がされない、というのも、日本的「平等」が強く好まれているからです。
教室でも会社の飲み会でも、人の集まる場で、他の人間が理解できない話、他の人間と違う英語の発音をする人間は、憎悪をかいます。その場にいる人間は、憎悪を胸の内に隠して、嘲ったり、無視したり、冷笑したりするでしょう。
政治家をめざすような人間は、人に理解できない話などしてはダメです。そして、政策について理解できる人間など、ほとんどいません。せいぜい、自分がいくらもらえるか、くらいしか関心も理解もおよびません。
それよりも、「さすが」「知らなかった」「すごい」「センスある~」「そうなんだ!」を適切に連発する「さしすせその法則」を上手く使いこなせるほうがはるかに有権者の歓心を買うことができます。
別に、日本人が特に愚かなわけではありません。
世界のほとんどでは、政治家というのは自分たちとは違うエリートで、雲の上の人だ、という厳然たる階級の差というのが当然視されているだけです。
日本的意味での「平等」などというものは、ありえるとは思われておらず、エリート階級はやることをやってくれるものをくれればそれでいい、政策の議論はエリートの間でやってくれ、という住み分けができているだけです。サラリーマン生活最初の5年を千葉で過ごした身として、既存のルールや制度に対して熊谷知事(当時は千葉市長でしたが)が独自の視点でSNSで問題提起するのはある意味慣れっこなのですが、やはり今回も全国の首長の中でいち早く選挙制度自体に問題を投げかけられました。
全国の首長選や議会選で無投票が増える中、候補者が増えれば選択肢が増えるのはいいに決まっている話で、あとはその質の問題ですが、立候補の段階で質を担保できないシステムになっている以上、制度を変えようというのは当たり前の発想とも言えます。
国会が動けばすぐに変わる話でしょうが、公選法を変えたって政治家個人の票にはつながらず、諦めに近い部分もありますが、今回の選挙が何らかのトリガーになればと思います。