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2021年12月30日 公開 人気 Picker
自己決定権の追求がピンとこないのも、自由と平等のトレードオフも、社会と世間の違いも、「個人」(社会のなかで責任を取る単位としての人格権のある主体)という概念が厳密には虚構であり、特に日本ではかなりの割合で成立していないからだと思います。つまり、「群れ」になっている。
かなりの割合の人が、大事な事も含めて自分で決めたくない。個人がなければ自由という概念も社会という概念も成立しない。
波頭さんが「欧米ではウソをついたら終わり」と仰ったことも象徴的ですね。
現代の幸福=well-beingという概念のフレームワークも、外来的で近代的な感じがします。「しあわせ」とは「仕合わせ」であり、巡り合わせのことを指していました(元々は悪い意味)が、江戸時代頃から使われるようになった「幸福」は、運の良さというニュアンスは消えています。この様な語感の変化は英語のhappinessがhappeningと同根なのに偶然のニュアンスが消えているのと同じで、自己決定こそ幸福という哲学と繋がっています。
偶然の巡り合わせを必然であると引き受ける時に、その人のなかで運命と化し、それが幸福を形作って行くんじゃないでしょうか。それは自己決定の範囲や、利他の度合いとは全く関係のないものです。
かなりの割合の人が、大事な事も含めて自分で決めたくない。個人がなければ自由という概念も社会という概念も成立しない。
波頭さんが「欧米ではウソをついたら終わり」と仰ったことも象徴的ですね。
現代の幸福=well-beingという概念のフレームワークも、外来的で近代的な感じがします。「しあわせ」とは「仕合わせ」であり、巡り合わせのことを指していました(元々は悪い意味)が、江戸時代頃から使われるようになった「幸福」は、運の良さというニュアンスは消えています。この様な語感の変化は英語のhappinessがhappeningと同根なのに偶然のニュアンスが消えているのと同じで、自己決定こそ幸福という哲学と繋がっています。
偶然の巡り合わせを必然であると引き受ける時に、その人のなかで運命と化し、それが幸福を形作って行くんじゃないでしょうか。それは自己決定の範囲や、利他の度合いとは全く関係のないものです。
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