ワーク・アズ・ライフ時代到来で、エリート像が激変する

2018/4/2
米サンフランシスコに、卒業生がグーグルやフェイスブックなどから引き合いが殺到する学校がある。
その名は、ホルバートン・スクール(Holberton School)。
ソフトウェアエンジニアを育成するいわば専門学校だが、そこには教科書もなければ教師もいない。それどころか、入学金も学費もない。
Holberton School の様子。同校ブログより 
必要なスキルは、現在進行中のプロジェクトに参加することで、アウトプットと同時に学ぶ。
分からないことがあったら、各生徒に付く「メンター」に聞く。
メンターはご覧の通り、グーグル、リンクトイン、IBM、ウーバーなどの現役エンジニアばかりだ。(Holberton School HPより)
もっとも、メンターは「こうしたほうがいい」なんていう“正解”は教えてくれない。そもそもプロジェクトの成功に正解はない。
Learn how to learn(学び方を学ぶ)──。
つまり、こんな事例を参照したらどうかといったアドバイスや、誰々さんに聞いてみればどうかといったヒントをくれる(詳しい学校の仕組みは、第1話をご参照ください)。
この学校を取材したリクルートワークス研究所主任研究員の辰巳哲子氏は言う。
「プログラミングの世界は日進月歩ですから、数年かけて学校を卒業した頃には知識が古くなっています。それより価値があるのは、分からない問題に直面したときに『学び方を知っている』ことなのです」
辰巳哲子(たつみ・さとこ)
リクルートワークス研究所 主任研究員。1992年株式会社リクルート入社。組織人事のコンサルティング(企業理念の浸透、組織活性化)に携わった後、社会人向けのキャリア支援研修の開発を行う。その後、高校生・高卒後未就業者のキャリアカウンセリングに携わり、2003年4月より現職。全国各地で教員向け研修会や生徒の変容に関する共同研究(中学校・高等学校)を実施。筑波大学人間総合科学研究科修了。お茶の水女子大学大学院 人間発達科学専攻 博士後期課程 在学。
9カ月におよぶプロジェクト・ベースド・ラーニング(プロジェクト単位の学び)を終えた学生たちは、また9カ月間のオンラインによる学習を深め、その後企業で半年間におよぶインターンシップを行う。
入学金や学費は、このインターンシップ期間および就職後3年間の給与の17%を学校に上納することで支払う。
「もはや大学の学位はスキルの認定としての機能を失いつつあり、目の前のアウトプットに必要な“旬のスキル”を保有していることこそが重要な時代なのです」(辰巳氏)

クビになる準備はできているか?

有名大学の学位保有という名誉、固定化された地位……。
グーグルで人材開発のリーダーを務め、『ニューエリート』の著者でもあるピョートル・フェリクス・グジバチ氏は、こうした“旧エリート”の特性は、今急速に価値を失いつつあると指摘する。
ピョートル・フェリクス・グジバチ
ポーランド生まれ。モルガン・スタンレーにてラーニング&ディベロップメントヴァイスプレジデント、2011年よりグーグルにてアジアパシフィックでのビジネスディベロップメントに携わる。現在は独立して、プロノイア・グループとモティファイの経営を行う。著書に『0秒リーダーシップ』(すばる舎)、『世界一早く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか」(SBクリエイティブ)などがある。
「モノを収穫していた生産経済の時代は肉体労働が主で、働く人には服従と勤勉が求められました。次のナリッジエコノミー(知識を基盤とした経済)の時代になると、専門性や知恵が求められるようになりました。ところが今やこれもアウトソーシングで事足ります。これからの働き方のステージは、クリエイティブエコノミーです。そして、この時代に生きる人材は、ゼロから新しい価値を生み出す情熱、創造性、率先が必要になるのです」(グジバチ氏)
米デューク大学(当時)のキャシー・デビッドソン教授は、「2011年度に米国の小学校に入学した子どもの65%は、大学卒業時に今は存在しない職業に就くだろう」とThe New York Timesで語った。
グジバチ氏は、そんなVUCA(Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity)ワールドで、今の環境が永遠に続くことは幻想でしかないと言う。
だから、相談に来る相手にいつも、こう問いかける。
Are you ready to get fired? ──クビになる準備はできていますか?
つまり、たとえ今の職を失うといったショッキングな変化をも受け入れ、変わり続けること。常に次の可能性に備えることができる人材こそが、「ニューエリート」の条件だというのだ。
「重要なのは『今どこにいるか』という地位よりも、元いた場所と今いる場所に差があること。つまり『持続的に成長していること』が大事なのです」(グジバチ氏)

変化対応型人材を育む「未来の教室」

今後求められる人材像が変われば、人材を育成する学校教育やリカレント教育(大人の学び)、そして「学び」という概念そのものも変わる必要がある。
前出・辰巳氏は「個人の転機はこれまで以上に頻繁になり、一生を通じて学びと変化を繰り返すことになる」という。
その結果、「働くことと学ぶこと、生活することは統合され、学びはこれまでのように決められた場所ややり方で『蓄積すること』ではなく、自由なタイミングで『創り出すこと』『発信すること』を意味するようになる」(同)。
まさに、上記で紹介したホルバートン・スクールの学びのイメージだ。
日本政府も暗記型の詰め込み(インプット)主義ではなく、アウトプットにつなげる活用主義の学校教育改革に舵を切りだしている。
2020年には小学校、2021年には中学校、2022年には高等学校の学習指導要領が変わる。
今までの学習指導要領には「何を学ぶか」しか書いていなかったのに対し、「何ができるようになるか」「どのように学ぶか」が加わることで、「学び」と「アウトプット」がより近接した実践的な学習を目指す。
授業も地域や社会に開かれた、アクティブ・ラーニング(能動的に学習するための指導方法)やPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング=プロジェクト単位の学び)の普及を目指すというが、大学入試の方法が変わらない限り、「絵に描いた餅」で終わってしまうだろう。
そこで、2024年には、大学入試センター試験は「大学入学者学力評価テスト」に変更され、自らの考えを展開する記述式問題中心になる。
大学によっては、少子化時代の生き残り策として、より優秀な生徒を獲得するため、筆記試験に加え、エッセイの提出や面接、グループディスカッションなどを検討するケースも増えると思われる。

学歴社会ではなく学習歴社会

もっとも、テクノロジーの進展により、「試験」そのものの価値が下がる──と予測する専門家も多い。デジタルハリウッド大学院教授の佐藤昌宏氏もその1人だ。
「技術的にはすでに、ブロックチェーン技術を使って、個人の学習履歴を蓄積することが可能です。そうなると、今後は『学歴社会』ではなく、その人は何を学んで何ができるかを証明する『学習歴社会』になる」と言う。
これは子どもに限った話ではない。前出・辰巳氏は今後の大人は、個人の体験や学びがブロックチェーンで保管される「キャリア台帳」を持つ、と予測する。
経済産業省の教育サービス産業室室長補佐の日髙圭悟氏によると、「すでに中国では、個人の学習履歴がマイナンバーと紐付いて管理されている」と言う。
仮に、日本にもこのような「学習歴社会」が到来すれば、現在の地位に拘泥する旧エリートなどひとたまりもないだろう。
幸い、EdTech(Education Technology)の進化により、MOOC(ムーク=Massive Open Online Courses=大規模オンライン教育)が普及するなど、学びのハードルは下がっている。
今後は、大人も子どもも関係なく、仕事と学びと、そして遊びを含めた体験や人生そのものが一体化し、その人の価値や魅力を形成することになるはずだ。
つまり、生き方そのものが問われる時代になっていくのだ。
本特集では、「ワーク・アズ・ライフ」時代を生き抜く学び方や、最新の教育事例、またそれを支えるEdTechの進化などを7回にわたりリポートしていく。

島全体が学校に。奇跡の高校

特集1回目は「ニューエリートを創る学び」について、インフォグラフィックスで解説する。
時代の変化とともに各国の教育機関や専門機関で議論されている「21世紀型スキル」とは何か、そしてそれを育む「未来の教室」の姿とは──。
さらに、「個人ログ」の学習歴や体験歴が残る時代は本当に到来するのかなど、最新のEdTechの進化をリポートする。
2回目は、前出・デジタルハリウッド大学院教授の佐藤昌宏氏に、学習歴社会の訪れを予感させる「教育ブロックチェーン」の仕組みについて解説してもらう。
3回目は、AIやロボットと当たり前のように仕事を分業していく時代にこそ人間に最も必要な能力とされる「性格スキル」の概要について、そしてその鍛え方を慶應義塾大学教授の鶴光太郎氏が語る。性格は生まれつきの資質ではなく、50歳、60歳になっても変えられるスキルなのだ。
特集4回目は、東大数学者でありジャズピアニストとしても高名な中島さち子氏が登場する。
STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)教育の必要性が問われて久しいが、最近はこれにArtを加えたSTEAM能力を鍛えるべきとの声が高まっている。
なぜ、STEM知識に加えてアートの必要性が問われるのか。そして、STEMとアートのシナジーとは何か? 大人も挑戦したい、新しい学びのかたちが披露される。
5回目は、前出・グジバチ氏と、ニューエリートを創る学校を作る予定だという「中学生起業家」出身(現在は大学生起業家)の仁禮彩香(にれい・あやか)氏の対談を掲載。2人が語るニューエリート像と、彼らを育む教育のあり方について議論を深める。
6回目は、プロピッカーであり、PwCデジタルサービス日本統括の松永エリック・匡史氏が登場する予定だ。
バークリー音学院出身のプロギタリストという異色の経歴を持つアーティストであり、放送から音楽、映画、ゲームから広告まで、幅広くメディア業界の未来を予測するメディア戦略コンサルタントである氏に、「ワーク・アズ・ライフ時代の学び」の奥義について聞く。
特集最終回は、島根県の隠岐の島にある海士町(あまちょう)にある島前高校が行う、究極のアクティブラーニングの全容をリポートする。
かつて、生徒数は28人となり廃校寸前だった高校は今、倍率2倍以上の人気校となった。その半分は、島外からの“留学生”だ。
海士町の港。この港のすぐ上に「島留学」生を受け入れる、島前高校がある。(撮影:佐藤留美)
なぜ、都会から遠く隠岐の島に学生たちは渡ったのか。その背景には「島全体が学校」というコンセプトがあった。
(デザイン:九喜洋介)